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更新:2021.12.11

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ひと口に「春秋戦国時代」といいますが、実際は春秋時代と戦国時代にそれぞれ分けて考えることが一般的です。

では春秋時代と戦国時代の分岐点はいつなのか。

これについては諸説ありますが、もっとも一般的に使われている説をご紹介しましょう。

一方の戦国時代は、紀元前403年から紀元前221年。

韓、魏、趙が独立してから、秦が中国大陸を統一して乱世が終焉するまでを指します。前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した『戦国策』という記録に由来します。

なお、戦国時代の末期まで周王朝自体は存続していたことから、春秋戦国時代を合わせて東周時代、洛邑に遷都する前を西周時代ともいいます。

 

 

周王朝は、商王朝を滅ぼした後、王族や功臣に土地を与えて、自治や世襲を許可する「封建制」を採用しました。周王朝がその宗主として中央を統治するという形をとります。

紀元前546年、宋国の仲介で北の大国・晋と南の大国・楚が休戦協定を結ぶことで、一時平和が訪れました。

その後代わって起こったのが、国内での権力争いや下克上です。諸侯国の大臣である卿や大夫が、主君を追い出すもしくは殺害する事態が各国で発生します。

 

戦国時代になると、春秋時代とは異なり各諸侯が独力で天下を掌握しようとします。

かつてのように「覇者」が中心となって周王朝を支えるといったことはもはやなくなり、戦乱で勝ち残った「戦国七雄」と呼ばれる「秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓」によって天下が争われるのです。

主君の呼称にも大きな変化が起こります。それまで王は周王のみで、そのほかは公、侯などと名乗っていましたが、楚、呉、越、そして魏や秦、斉なども独自に王を名乗るようになりました。

周王朝はついに名目さえも失い、洛邑付近を治めるに過ぎない小国に成り果てていきました。


以下の記事では始皇帝について詳しく説明しています。あわせてご覧ください。

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  • 紀元前771年 周王朝第12代幽王、異民族の侵略によって殺害。
  • 紀元前770年 平王が洛邑へ遷都。春秋時代始まる。
  • 紀元前651年 斉の桓公(かんこう)、諸国を集めて会盟し覇者となる。
  • 紀元前639年 宋の襄公(じょうこう)が会盟し覇者となる。
  • 紀元前632年 晋の文公(ぶんこう)が会盟し覇者となる。
  • 紀元前624年 秦の穆公(ぼくこう)が晋を破り、西方の覇者となる。
  • 紀元前551年 孔子が魯国に生まれる。
  • 紀元前546年 宋、楚、晋停戦協定
  • 紀元前506年 呉が楚の都を陥落。
  • 紀元前501年 孔子が魯の大司寇となる。
  • 紀元前496年 越王・勾践が即位、呉を攻撃。
  • 紀元前494年 呉が越を破る。
  • 紀元前482年 呉王・夫差が諸侯と会盟。越が呉を攻撃。
  • 紀元前479年 孔子死去。
  • 紀元前473年 呉王・夫差が越王勾践に包囲され自害、呉滅亡。
  • 紀元前465年 越王・勾践が死去。以後越も衰退する。
  • 紀元前451年 晋の分裂し、韓、魏、趙が独立。
  • 紀元前426年 周王朝が東西に分裂。
  • 紀元前403年 韓、魏、趙が周の威烈王によって諸侯に任じられる。

 

  • 紀元前388年 斉でクーデター。宰相の田和が諸侯を名乗る。
  • 紀元前376年 晋が滅亡。戦国七雄が形成される。
  • 紀元前341年 斉の孫臏(そんびん)が、馬陵で魏の龐涓(ほうけん)を倒す。
  • 紀元前333年 遊説家の蘇秦(そしん)が秦以外の六国の「合従策」に成功する。
  • 紀元前318年 楚、燕、趙、魏、韓が函谷関で秦に敗北。
  • 紀元前316年 秦が蜀を滅ぼす。
  • 紀元前311年 秦の宰相となった張儀(ちょうぎ)が「連衡策」により「合従策」を破る。
  • 紀元前284年 斉以外の六国が燕の楽毅(がくき)を総指揮として斉に侵攻し、斉の湣王が殺される。斉が衰退を始める。
  • 紀元前278年 秦の白起が楚の都を陥落させ、楚は遷都を余儀なくされる。
  • 紀元前270年 趙の趙奢(ちょうしゃ)が「閼与(あつよ)の戦い」で秦と魏の連合軍を撃破。
  • 紀元前264年 秦が西周を滅ぼし、祭祀用の宝器である「九鼎(きゅうてい)」を奪う。
  • 紀元前260年 「長平の戦い」秦の白起が趙に圧勝する。
  • 紀元前259年 秦王・始皇帝生まれる。
  • 紀元前255年 東周が秦に滅ぼされ、周王朝が完全に滅亡。
  • 紀元前247年 魏の信陵君率いる魏・楚・趙・韓・燕の連合軍が秦を撃破。
  • 紀元前241年 秦が函谷関で楚の春申君率いる魏・楚・趙・韓・燕の連合軍を撃破。
  • 紀元前238年 秦の宰相呂不韋が失脚し、始皇帝の親政が始まる。
  • 紀元前233年 韓の王子・韓非(かんぴ)が秦の李斯(りし)によって暗殺される。
  • 紀元前227年 燕による秦王暗殺未遂事件が起こる。秦は燕討伐の口実を得る。
  • 紀元前226年 燕の都が陥落。秦の李信が楚を攻めるも破れる。
  • 紀元前225年 秦が魏を滅ぼす。
  • 紀元前223年 秦の王翦が楚を滅ぼす。
  • 紀元前222年 秦が燕を滅ぼす。
  • 紀元前221年 秦が斉を滅ぼし、天下統一。戦国時代が終わる。

ひと言で強さといっても、「功績」「人徳」「勝利の普遍性」の要素を兼ね備えている人材はそう多くはいません。

まずは春秋時代、紀元前535年頃に生まれた孫武

しかし孫武の功績自体は、それほど多くはありません。彼が重んじたのはそもそも戦わないこと、そして戦うなら万全の状態で勝つことでした。

これによって呉の主力はほとんど無傷で楚の都に迫り、かつ楚軍はたび重なる呉の進撃で本来の力を発揮できずに連敗、ついに都が陥落するという結果に終わったのです。

それまで実績に乏しかった孫武の名声はこれによって一気に高まりました。ところが彼はそれ以上の地位を求めず、さっさと引退してしまったのです。

戦国時代の最強国はなんといっても秦ですが、秦が一気に強大となった理由として、戦の名人が数多くいたことが挙げられるでしょう。

特に恵文王の時代に、遊説家ながら宰相にまで上り詰めた張儀、恵文王の異母弟である樗里疾(ちょりしつ)、諸子百家の学説を学び上記2名の推薦で恵文王に仕えた甘茂(かんも)に注目です。

戦国時代でもっとも有名な戦略家は、燕の楽毅

兵法家からもうひとり、孫武の子孫とされている斉の孫臏

また、趙では、税務官上がりの趙奢

最後は秦から2人紹介します。まず白起

王翦

ということで、春秋戦国時代も最強の武将は、「孫子」としたいと思います。

 

長きにわたる戦乱の世を統一した秦は、斬新な方法で国の体制を固めていきました。

万里の長城、兵馬俑の建築など、人民を酷使する工事もあったことから、始皇帝には後世悪いイメージがついてしまうのです。

郡県制の施行を議論した際には、反対派が次のように主張していました。

「郡県制の施行は名案ですが、未だ諸侯の国の民や王族が数多くいる中で一挙に実行するのは反発を招くと思います。」

そして始皇帝の建国から僅か15年で、秦は咸陽に攻め込んできた劉邦に降伏。皇帝は自ら王に降格し、まもなく攻め込んできた項羽に滅ぼされて滅亡しました。

 

『キングダム』は古代中国を舞台とした歴史大作長編漫画で、連載を始めて以来、異例ともいえる不動の人気を誇っています。

漫画界だけでなくビジネス界とのコラボレーション、アニメ化、実写特別映像など進展はとどまるところを知りません。

著者
原 泰久
出版日
2006-05-19

 


歴史漫画ですが、少年漫画の王道である「勇気」「友情」「勝利」も感じることができ、壮大すぎる世界観をある種の安心感を持って読むことができるでしょう。

始皇帝は歴史上初めての皇帝であり、改革を急いだゆえに暴君とみなされる……この解釈は果たして本当でしょうか?

さらに、これだけ多くの研究がされてきた始皇帝にも、まだまだ新事実が発見されているのです。『人間・始皇帝』では、現在進行形の始皇帝研究について知ることができます。

 

著者
鶴間 和幸
出版日
2015-09-19

 

1970年代以降、新史料が発見されてから、従来の始皇帝像にかなりの修正がなされてきました。

プロバガンダ的な解釈に疑いを持ち、始皇帝の人物像と秦代の政治について新たな研究の道を展開しているのです。

 

 

 

著者
藤田 勝久
出版日
2006-09-09

 

「定説を覆す」「新発見!」というような大胆さや誇張はなく、あくまで忠実にシステマチックに事実を探るスタンスで、研究はこうした地味な積み重ねから成り立つものだということを実感させられます。

 

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